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COLUMN

東邦コラム

2024.05.17

その他

再会を祝して

再会を祝して

2015年の7/28~8/9までにどこで、何をしていましたか、と問われて簡単に述べることが出来る人は一体どれくらいいますか?

私は回答できる一人で、当時27歳の私は山口県にいました。

 

私は小学生からボーイスカウト活動に参加しており、20歳を越えてからは指導者としてボーイスカウト活動に関わっていました。

ボーイスカウトが何をしているかを述べると長くなるので割愛しますが、ボーイスカウト活動は世界最大の青少年教育団体の一つで、先述した2015年はボーイスカウトの4年に一度の祭典である「第23回世界スカウトジャンボリー」が山口県で開催されました。

4年に一度加盟国のどこかで行われ、この大会は各国が招聘活動を行い、自国開催を誘致します。

スカウト36名と副長4名、そして隊長の私、1個隊は日本派遣隊0808隊として10泊を越える野営を行ったことは鮮明に覚えています。

 

大規模な会場にはサブキャンプと言われる野営地が12個あり、そのサブキャンプの中には50個隊のキャンプサイトが用意されます。

単純に1個隊40名x50個隊x12野営地ですので参加者だけで24000人ほどになります。

私は当時日本連盟最年少隊長としてこの大会に参加しました。毎日17時にはサブキャンプで50人の隊長が会議に出席し、生活状況や、参加プログラムに関しての情報共有が行われました。

 

私のキャンプサイトはメイン通りに面しており、北にバングラデシュ、東にオランダ、南にデンマーク、南西にインドネシア、西にマカオの海外派遣隊がサイトを構えていました。

多くの外国人派遣隊の指導者達と年齢、国籍、宗教、人種を越えた交流を持ったことは私の大きな財産です。

 

そして時を経て、2024年4月末日、私は心斎橋にある外国人が多く集う行きつけ飲み屋に一人で行きました。

ドアをあけると、全く知らない外国人がすぐさま私に声をかけてくれました。

この飲み屋も外国人が多く来る店で顔見知りになった方や仲良くなった友人もいますが、全く知らない方が「アナタ、ボーイスカウトダヨネ」、開口一番、夜中1時です。

時間やシチュエーションから日本語ではない多言語で話かけられたと思い、店の喧騒と混じる声を何度も効くと確かに「ボーイスカウトダヨネ」と言っているのです。

 

そうなんとこのチュニジア人の方は2015年のワールドスカウトジャンボリーに指導者として参加しており、サブキャンプのリーダー会議が終わった後に私がジュースを御馳走したことを覚えてくれていたのです。

はっきり言って情報過多です。

夜中1時の心斎橋で、9年前にあったチュニジア人に日本語話かけられると、人間全く身動き取れないのです。

9年ぶりの再会に一緒に乾杯しようとカウンターでオーダーを終え、あの時の乾杯をアルコールにかえて、思い出話に浸ろうと、グラスを両手に振り返ると

 

既に退店してました!!!!!!!!!!!

並々に入った2杯のビールを飲みながら次回の再会に耽るのでした・・・・・